「BLOODDOG-融合生命体-完全版」刊行&閲覧数6万突破記念

原作者によるプロダクションノート

この作品が「マンガ図書館Z」に掲載されてから早1年が経過しているが、ここに来て驚く事態が発生している。

 

なんと約1年ぶりに「マンガ図書館Z」デイリー・ウィークリーランキング共に1位に帰り咲いているのだ(2017/6/7現在)。しかも閲覧数は数日であっと言う間に6万を越えてしまった。

この異常事態に何よりも一番驚いているのはほかならぬ作者である。なんか自分の気づかないところで話題になってるのではないかとか、死亡説が流れてるのではないか(^^;)とか、いろいろと考えてしまう。

 

実は予てからこのページで当作品のことを書こうとしていたが、何を書いたらよいのかを悩んで結構時間が経ってしまっていた。

それは端的に、書いても自己満足にしかならないのではないか、ということであった。

無論自己の作品の再検証(主に反省を伴うが)の意味はあるが、結局はいいわけのようなセルフレビューを羅列するだけではないかと。

 

だが、振り返ってみればどういうことだ。こんなに読んでくれている人がいるではないか。

それがたとえ冷やかしであろうと、数ページ読んでやめちゃってようと、俺の描いた絵に引っかかり、ページを開いてくれた人がこれだけいる。これは本当にありがたいことだし、誇れること。

 

であれば、その人たちのため、またはまだ読んでいない人のため、原作者でしか書けない(ってか他に書く人はいないだろうが)裏話的なものを書いてみようと思った。

 

「プロダクションノート」というのは、よく映画のパンフレットにある制作裏話の呼称である。

この作品自体を読むための手引きとしても、またこれから漫画を描こうと思っている人たちへの参考書的な役割を果たせたら幸いである。

 

 

 

目次

 

●「フューゾル」考察

 

●キャラクター設計

 

●メカ設定

 

●「製品」としての作品のマイナス点

 

●「完全版」刊行にあたって 

「フューゾル」考察

既に読まれた方には言うまでもないが、「BLOODDOG」のモチーフは「吸血鬼伝説」である。

「フューゾル」という作品中の「主人公の敵」となる存在は、同時に「患者」であり「救済するべき人間」である。

 

フューゾルの体内には、「コードメタルブレム」と称する寄生生物が共生支配していて、人ならざる生物になっている。この「コードメタルブレム」は人体に寄生する寄生虫と同様である。

 

寄生虫または病原菌というものは、本来、人体に「必ず」存在する虫であり、宿主と寄生虫は互いに養分を分け合って共生する関係にある。

だが、人間が寄生虫を人体から排除しようとするようになってから、人体にはそれまでなかった病気が発生するようにもなった。その最も一般的な例が「花粉症」である。元々人体にいた菌が花粉に対する抗体として存在していたものを、人間自ら排除していった歴史の中で、花粉に耐性のない人間に変化していったのだ。

 

そんな話を作品作りのネタとして拾っていた1998年ごろ、作者はある一本の映画を観る。「BLADE」というハリウッドアクション映画だ。

デイウォーカーと呼ばれる吸血鬼と人類のハーフである主人公ブレイドが吸血鬼ハンターとして大暴れするこの映画、日本ではさほどヒットしなかったようだが、作者は大いに興奮した。

霊長類最強の黒人(当時)ウェズリー・スナイプスを吸血鬼にするというキャスティングの妙、ミュージックビデオの監督を起用したスタイリッシュかつ骨太なアクションに酔いしれた。

その時は漠然と「吸血鬼モノおもしろそうだな」くらいに考えていたが、一つの疑問にあたった。

 

「吸血鬼は何故、血を好むのか?」

 

そこで血を好む実在する生物を検証してみると同時に、血に入っている成分を考える。言うまでもなく、血液中の成分の一つが「鉄分」だ。

なるほど、では「鉄分を血液中からしか吸収出来ない」吸血鬼にしよう。吸血鬼が血を吸う理由はこれでいいとして、それをわけのわからない怪人としていきなり出すわけにも行かない。

 

そこで思い出したのが「寄生虫」だ。

「吸血寄生虫に寄生され吸血鬼となった怪人」=吸血鬼フューゾルとした。

 

つまり吸血鬼は元々人間だった生物となる。だが、吸血鬼となった人間は、吸血生物に血を「吸わされている」にも関わらず、そこから興奮成分の「βエンドルフィン」を発生させ、また吸血生物の遺伝子操作により超人的な力が身に付いている。まさしく吸血生物と人間は融合され「共生関係」にある。

 

「フューゾル」とは「Fusion Of SOUL」の略称である。生物同士の本能が融合した姿としての呼称なのである。

 

では、この「コードメタルブレム」は一体どこから生まれたのか?

そのヒントは作品25ページ目あたりのバンとリサの会話の中に隠されているかもしれない。

 

キャラクター設計

フューゾルを人間に戻すために奔走する主人公バンは、とにかくブレないキャラクターを目指した。バンの出自は不明な点は多いが、バンはあくまでもフューゾル=人間を「救う」という立場を一貫して崩さない。

普段は適当な感じのキャラだが、その人間性の核は「命を救う」という一点に集中している。

 

主人公キャラの性格や目的のブレは、連載作品などだと長ければ長いほどブレそうになることはある。主人公キャラの核のブレは読者に違和感をもたらすし、何より作劇上の人間としておかしな設計になる。そういった意味ではブレずに完走できたのは、丁度良い連載期間だったのかもしれない。

 

また、バンには作者が好きな要素をいろいろと詰め込んでいる。例えばブルース・リー(ジークンドー)、松田優作(髪型)、といった要素だ。

しかしそれをやっていくと、どうにも作者もファンである「カウボーイビバップ」のスパイクと似通ってしまいそうになる。だが作者が他に好きな要素に「バイク」がある(ちなみに作者は二輪免許は持っていない)。

仮面ライダー的な要素を持ったキャラクターに対し、松田優作っぽい容姿にジークンドー使いという要素を加えて、バンというキャラクターを設計していった。

 

バンはジークンドー使いという設定だが、作者は別枠でジークンド―使いの漫画を企画していた時期があり、実際に都内のジークンドーインストラクターの方に取材をしている。その成果の一部をバンの技に生かしている。例えばフューゾル教師・秋葉に繰り出すのはラプ・サオという技だ。

だが効果的な格闘シーンはほとんど描けなかったので、その点作者はどこかでリベンジしたいと思っている。

 

 

一方ヴラッドという、バンと対極のキャラが中盤から登場する。

彼の名前は15世紀のルーマニアに実在したというブラド・ツェペシュ王から取っている。(ブラドはその残虐性からドラキュラのモデルになったと言われる)自分と同族の人間を敵となし、それを殺すことに一切の躊躇のないキャラクターを出すことで、主人公のキャラクターは磨かれ更に核が浮彫にされていく。わかりやすいが、王道を描くことは大切なことだ。

彼の出自も一切不明だが、バンとヴラッドは元は共闘関係にあったようだ。と他人事のように書いているが、要するにそこは作者もわからないということである。

 

 

リサに関しては、とにかく作者は当時女性を描くのが苦手だったので、絵的になかなか苦戦していた。だがそんな中でも、性格は凛としてバンをあらゆる面で支える強い女性キャラクターとして描き切った。

どーでもいい話だが、リサの名前は作者が当時愛聴していたM-floのボーカル・LISAから取った。見た目は似ても似つかないが、芯の通った強い女性のイメージとしては近いものがあるかもしれない。

そして、「今だったらもっとうまく描けるぜ」と思っている。

 

 

メカ設定

主人公バンの駆るバイク「ガンドッグ(「猟犬」の意)」の形状をみてピンと来る人はいると思うが、ヤマハの大型バイク・VMAXの改造である。

二輪免許を持たない作者永遠の憧れのバイク。企画当時、たまたまどこかに路停していたVMAXを盗撮(苦笑)したりプラモを作ったりして研究した。

 

そのガンドッグの中におさめられている武器は見ての通り、吸血鬼退治に欠かせないハンマーと杭がモチーフとなっている。

 

杭=ステイクブレードは「コードメタルブレム」を生成している金属物質と同等の物質で構成されており、それを「コードメタルブレム」に直接打ち込むことで物質同化させる。

物質同化された「コードメタルブレム」は、ハンマー=ディストラクションハンマーで叩いて吸出され、ハンマー頭部に接続された巨大槽に保管される。

ステイクブレードがフューゾル救出の毎に消滅しているのはこれが理由である。

 

ちなみに、ディストラクションハンマーは50キロ以上の重さがあり、その重量武器を巧みに扱うため、バンの腹部には内臓破裂防止のプロテクターが常に装着されている。対秋葉戦では、腹部に炸裂されたパンチから体を守ってくれた。

 

ステイクブレードは鋭利で細い先端を持つが、その先端をどんな状況でも的確に「コードメタルブレム」にピンポイントに炸裂させることが出来るのは、バンだけである。

この身体能力があってこそ、状況の違う長期のバトルにおいて、同じ点に何度もステイクブレードを炸裂させて貫通させるという荒業を可能とするのだ。

また、対秋葉戦のときのように実際にフェンシングのような剣として扱うこともある。これはわかる人にはわかるが、ブルース・リーが映画「死亡遊戯」で見せた竹のスティックを使用したバトルを踏襲している。

 

バンが腕につけている「PDW(パーソナルデジタルウォッチ)」は、現在の「アップルウォッチ」のようなマシンである(手前味噌だが、アップルウォッチが発表されたとき、作者は一人でニヤリとしたものである)。

だが、これ一つでガンドッグを遠隔操作出来たりとその辺は漫画ならではのインフレ設定となっている。

 

最後に、バンが使っているトンファーは、ディストラクションハンマーとステイクブレードの機能を融合させた最新武器である。これにより、一発必中のリスクは軽減され、連続攻撃によるフューゾル救出を可能となった。

彼があのあと渋谷でどうなったのかは、作者にもわからない。

 

「製品」としての作品のマイナス点

作者は現在、某フィギュア原型メーカーに勤務しながらクリエイターの仕事をしている。約10年以上、営業職、企画デザインなどに携わる中で、商品としてモノを見る力を身に付けていった。

その上で今回「BLOODDOG」を見返すと、当時わからなかった「お客様に提供する作品」としてのマイナス点が見て取れた。

つまり、「何故打ち切りになったのか?」という要因である。

これを作者自ら、現在の経験と観点であえて指摘するのがこの項。

作品を比較して読むことで、これから漫画を描く人の参考的な内容になると良いと思う。

 

 

 

まず、完全版では一気に読めてしまうので特に感じないかも知れないが、バンが最初の警官フューゾルを退治するまでに、連載当時は2話分使っている。

 

連載されていたマガジンSPECIALは月刊誌。月刊誌で2話分というのは単純計算で60ページを越える。しかも1か月またいで、だ。この長期間を初連載で付いてくる人がどれだけいるかという話だ。作者が読者の立場だったら付いて行けたか疑問である。

理想では1話で敵を退治するまでを描き、そこでバンのキャラクターと目的を明確に提示して、1か月待たせるというのが、読者=お客様には適切なサービスととらえる。

 

 

もう一つは、強大な悪の不在だ。

フューゾルの設定が個々の変身の問題だとしても、アクション漫画の作劇上、中心に主人公の追うべき強い敵の存在はあった方がよかったのかもしれない。

それがフューゾルが人類に蔓延した原因なのかもしれないが、それを匂わす存在を提示するまでに至らなかったのは、読者を引っ張っていくうえで足りなかったなと思っている。

 

 

 

他にも反省点はあるが、要は自分の描き方にこだわって、肝心の読者へのサービスが足りなかったということで、そこで早くも読者が離れて行ったというのが、読者アンケートでも如実に出ていた(実際自分をさらけ出して描きだしたヴラッド登場以降は、人気は少しだが上がったようだ)。

 

連載において、読者に提供するバランス取りは重要である。そこが確実に抜けていたなあと今では思う。

 

 

「完全版」刊行にあたって

「BLOODDOG-融合生命体-」は、連載打ち切りになった作品である。

そのあと作者はいろいろとあってスランプに陥り、漫画家を廃業してしまう。だがそのあとの玩具業界への転職(実は90年代初頭に某大手玩具会社で長期アルバイトをしていた経験があり、正確には戻って来たという言い方も出来る)から現在に至るまでの様々な経験が、家の屋根裏で眠っていたこの作品の原稿を見直す大きな機会を生んでくれた。

そして連載当時から十余年経ち、劇的に変化した出版の世界が、この作品を再び世に送ることが出来る環境を作ってくれた。

 

漫画の電子書籍化には現在も賛否両論あるが、作者のように単行本化が叶わず打ち切りとなった作品が、当時の印刷技術以上の高画質で世に出せるという意味は作者にとっては非常に大きいし恩恵あることだ。

よく有名な作家が電子書籍を批判しているのを見受けることがあるが、それは自分が有名だから言えることで、圧倒的多数なのは作者のように「自分の作品のみの単行本として印刷=商品化されなかった作家」なのである。

どうしても紙で読みたい場合はそのデータから出版に移行するという手もある。間違いなく選択肢が広がっているこの現状を安に批判するのは、逆に漫画を売ることの多様性を押さえつけることにならないか?というのが現状の作者の考えである。

 

そして、全てをデータ化するということは、様々な部分で調整が出来る。

今回、台詞のすべてに目を通し、読みにくかったり足りないと思ったところを変更した。

 

当時の自分の悪い癖は、「いちいち書かなくてもわかるだろう」という姿勢だった。

対秋葉戦が顕著だが、重傷を負ったバンが腰のプロテクターを絞めるシーンがあるが、連載当時はここに一切の説明がなかったので、当時の読者は何をやってるのかわからなかったと思う。

また、バンが秋葉にステイクブレードで全く同じ点を何度も打ち付けて鉄の体を貫通させるシークエンスも絵だけの説明だったのでわかりにくかった。こうした箇所を中心に、読者が手を止めたり、手前に戻ろうとしたりしないように台詞を調整工夫した。

誤字があったりそもそもが不完全な作品だったので、手前味噌だが当時と比較しても格段に読みやすい内容になったと思う。

 

だが本編の絵に関しては一切手をつけていない。それは作者の当時の技術の証であるからだ。

そして、読者が読みやすいように文章を変更するのとは性質が違う部分だ。映画で言えばカットされたシーンを足すことはあっても、わざわざ新たに撮影して足すということは滅多にしないのと同じである。そこに関しては、描いたその時の「息吹」を大事に考えている。

 

しかし、今回最も大きな作業は、表紙の描き下ろしだった。

何しろ未単行本化作品である。表紙と呼ばれるものが存在しないので、描く以外になかった。

しかも当初はページ数が多いので前後編にわけるという話で進行しており、実質2枚のカラーを描き下しているが、結果として完全版という形で1本に収めたので、内1枚のカラーは本編中盤に収められている。

 

今の自分の持てる技術を駆使して、クサく言うならば「命がけ」で描いた表紙である。もしそれが多くのお客様の目にとまり、この作品を開いて頂けたならこれ以上嬉しいことはない。

その結果がいまなぜこうして出ているのかは不明だが、連載打ち切りのとき飲んだ涙が、今長い年月を経て報われた気がしている。

 

ここで、当時親身になって自分の作品に携わっていただいた担当編集I氏・Y氏、そして拙作を連載すると決断された当時のマガジン編集部の皆さまには、ここを借りて改めて心から感謝致します。

 

この作品を生み出すために自分の暮らしを支えてくれた家族、友人、知人、漫画家仲間、そして当時の読者の皆さまに改めて感謝申し上げます。

 

そして、この作品を新たに世に出す環境をくださったマンガ図書館Zの担当編集様始めとするスタッフの方々に、心からの御礼を申し上げます。

 

最後に、今まさにこの作品を読んで頂いた全ての読者の皆様に。

読んで頂いて本当にありがとうございます。

 

また気が向いたら、作品を描こう。という気持ちになっています。

 

 

 

 

2017/6/7 二条忠則